私が弁護士になるまで③

大学受験に2度失敗し、二浪が決まった後に出会った一冊の本

「民法おもしろ事典」

この本が私の人生を大きく変えることになります。

この本を見て「法律っておもしろい」と思い、「弁護士になろう」と誓った私は、さらに目標をたてます。

「これまでの大学受験では、とりあえず地元の大学に行けばいいと思っていた。だけど、高校時代に甲子園を目指したように、大学もより高みを目指して頑張ろう」

ただ、「東大・京大とか言ってると危ないから、より現実味のある大阪大学を目指す」と決意したあたりが、私の現実主義的発想でもあります。

人間って不思議なものでして、大阪大学法学部に合格し、その後は司法試験に合格して弁護士になるという目標を立てると、一浪時代にはよくわからなかった問題がすんなりと頭に入ってくるようになったのです。

それも、自分なりに「そうか、こう考えればわかりやすいんだ」と解釈することで、よりスムーズに理解できるようになったのです。

こうして二浪生活を送った私は、みるみるうちに成績が上がり、無事に大阪大学法学部に入学することができたのです。

大学に入学した後は、友人と遊びに行ったり、自宅アパートに大勢の友人が泊まりに来て雑魚寝したり、アルバイトに明け暮れたりの生活を送るなど、ある程度は大学生活を満喫し、大学3年生になってようやく司法試験の勉強を始めることになりました。

ここで、私の二浪生活が役に立ちます。

机にじっと座って勉強するということに慣れていて、一日中勉強していても苦ではなかったのです。

しかも、自分が興味を持った法律の勉強でしたから、嫌々ながら勉強しているということではなく、勉強が進むにつれて次々と知識が増えていくにつれて「おもしろい」と思うことが増えていったのです。

ただ、私はどうも「二浪癖」があるようで、司法試験に一発で合格することはなく、大学を卒業してから二浪目に司法試験に合格することができました。

司法試験に合格すると、裁判官・検事・弁護士のいずれかに進むことになりますが、私は迷わず弁護士を選びました。

それは、二浪生活という世間的にみれば「挫折」を経験しているからこそ、そしてそれが「挫折」ではなく「人生の新しい出発点」だということを身をもって経験しているからこそ、悩みやトラブルを抱えて「この先どうしたらいいのか」という不安を抱えている人に対して、「大丈夫。それは挫折じゃなくて、これから先の人生がうまくいくようになるための出発点ですよ。」と思えますし、実際にその人の人生が良い方向に進んで「頼んでよかった」と思ってもらえればそれでいいじゃないか、それは裁判官や検事には絶対に経験ができない、弁護士でなければ経験できないことだ、と思ったからです。

こういう思いで弁護士になり、かれこれ15年以上が経過しました。

まだまだ弁護士として役に立たないといけない、そう思う日々を送っています。

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私が弁護士になるまで②

私のホームページ上のプロフィールは次のとおりになっています。

平成3年 福岡県立東筑高等学校卒業

平成9年 大阪大学法学部卒業

別に大学が好きで6年間通ったわけではありません。

単位もきちんと取得して、4年で卒業しました。

では、なぜ高校卒業から大学卒業まで6年かかっているのか。

その答えは簡単です。

2年間浪人したからです。

そう、私は大学受験に2度失敗した「二浪」なのです。

高校時代は野球に明け暮れる毎日でした。

勉強はほとんどやっていなかったといっても過言ではありません。

高校3年時の大学受験では地元の国立大学のみを受験し、不合格。

まるで既定路線であるかのように浪人生活を送ることになりました。

高校3年夏の予選が終わるまで、私の人生の目標は「甲子園出場」でした。

その目標がなくなり、新たな目標を見出すこともなく、単に机に座って教科書を読んだところで、頭には入ってきませんでした。

そのような状態で突入した浪人生活ではありましたが、予備校に通って勉強し、少しずつではあるものの成績も上がってきたため、「今年は大丈夫だろう」と思っていました。

ただ、大学に進学したところで、その先のことは何も考えていませんでした。

今にして思えば、小学校入学から高校卒業まで、そのほとんどの時間を野球に費やし、甲子園を目指していた充実した毎日から、何の目標もない生活を送ることの虚しさを感じていたのかもしれません。

そうして臨んだ大学受験、「まぁ、大丈夫だろう」と思っていたのが、まさかの不合格。

私は浪人生活2年目を送ることになったのです。

そのときの絶望感と将来に対する不安から、現実逃避をしたいという気持ちがあったのでしょう。

普段は読んだこともない小説でも読んでみるかと思い、一冊の本を手にしました。

それは「赤かぶ検事奮戦記シリーズ」でした。

私が小学生だったころ、父と一緒にテレビを見ていたのですが、その時に見ていたドラマがフランキー堺さん主演の「赤かぶ検事奮戦記」でした。

父と2人で楽しんで見ていたのを思い出し、本屋で偶然目にしたその原作本を買って読んでみたのです。

すると、その本に出てくる裁判での丁々発止のやりとりが大変面白く、時間がたつのを忘れるほど没頭していました。

1冊を読み終わったところでもう1冊買おうと思い、本屋で選んでいたところ、同じ作者の別の本が目に入りました。

それは「民法おもしろ事典」でした。

この本が実におもしろく、身近な問題を例にしていることもあって、のめりこんでいきました。

この本を読んで思ったのです。

「法律って、おもしろい!!」

そして、さらに思ったのです。

「法律といえば弁護士。よし、弁護士になろう!!」

このような単純な発想が弁護士を目指すきっかけとなりました。

そして、ここから私の新たな人生が始まります。

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私が弁護士になるまで①

友人・知人に限らず、依頼者からも「なぜ弁護士になろうと思ったのですか?」という質問を受けることがあります。

高校時代の同級生や先輩・後輩も、何らかの機会で私が弁護士になったことを知ったとき、ほぼ100%の確率で「あの岩熊が?」と思ったことでしょう。

そのように思われたとしても、何も不思議ではありません。

なぜなら、私自身が弁護士になろうと思ったのは、高校を卒業してしばらく経ってからのことだからです。

私は、小学校に入学した時から野球を始めました。

当時の夢は、野球少年であれば誰もが抱くであろう「プロ野球選手」でした。

小学校・中学校と野球に没頭していましたので、勉強はほとんどやっていませんでした。

このように言ってしまうと顰蹙を買ってしまうかもしれませんが、それでも勉強の成績は良い方でした。

正直なところ、勉強で苦労したことはありませんでしたし、野球でも地元の筑豊地区では名前が知られていました。

今にして思えば、当時の私は「井の中の蛙、大海を知らず」でした。

そのような野球漬けの毎日を送っていた中学2年生の夏、少年野球時代のライバルチームの選手(後の東筑高校の野球部先輩)の親御さんから「東筑高校で野球しないか」と誘っていただきました。

当時の私は、正直言って、東筑高校という名前も存在も知りませんでした。

進学については地元の高校に進学するだろうという漠然とした気持ちしかありませんでした。

もっとも、その後に東筑高校野球部の練習を見学させていただき、甲子園を目指して練習する先輩方の姿を目の当たりにして、「僕もこの高校に来て、甲子園に行きたい!!」と強く思ったことを今でも覚えています。

そうして東筑高校に進学し、野球部に入部しました。

野球部では苦しいことやつらいこともありましたが、その反面、うれしいことも楽しいことも多く、たくさんの仲間もできました。

高校の同級生からも応援していただきました。

甲子園を目指して頑張りましたが、残念ながら甲子園に出場することはできませんでした。

それでも東筑高校での3年間は私にとっての財産です。

さて、勉強の方ですが、この点については東筑高校に入学したときに衝撃を受けました。

同級生の中にはすでに「東大」とか「早稲田」とか「将来は医者になる」とか、筑豊の片田舎では聞いたこともない言葉が会話の中で飛び交っているのです。

ただ、当時の私の頭の中は「甲子園!!」でしたので、そのような会話をする同級生を見ても「すごいね」くらいしか思っていませんでした。

成績にしても下から探した方が早いという状況でした。

高校3年夏の予選が終わり、いよいよ受験勉強に突入しようとした時、ある問題に気づきました。

「勉強って、どうやるの?」

ここから、私の苦難の道が始まります。

そして、この「苦難の道」こそが、私の弁護士としての原点でもあります。

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